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【投稿記事】8.7全道集会に参加して
投稿・副理事長 菅間 徹
国からの救済は・・・ しかし入植10年目の1962年、政府はこの地に自衛隊の演習場の設置を決定しました。酪農は決して「楽農」.ではなく、まさに「苦農」そのものでしたから、多くの農家は借金をかかえるなかで、防衛庁の土地買収に応じて、1軒また、1軒と矢臼別を後にしました。 そして残った2軒が、杉野・川瀬の二家族でした。ひきつづきこの地「根釧原野」を大冷害が襲います。冷害でさらに窮地に追いこまれますが国からの救済はわずかな見舞い金だけでした。この状況を新聞紙上で知った全国の労働者から救援物資が択山届けられました。 平和盆おどりの始まり 心のこもった贈り物に感動した開拓農民は、自らの組織をもち、自らの力で闘うことの必要性を感じて「杉野・川瀬」を見殺しにするな!共に闘おう!と立ち上がりました。ついに1965年、日農西春別支部が誕生するのです。出来たばかりの農民組合に釧路・根室の教員、民医連の若者が協力して、その年の8月に第1回の平和盆おどりがスタートするのです。 記念すべき第40回大会の今年は「米海兵隊の矢臼別駐留反対・平和憲法の改悪許すな!」を合言葉におどり明かしました 1997年から始まった沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練本土分散地の一つに指定された矢臼別自衛隊演習場は「沖縄では出来なかったさまざまな訓練が可能になった。 それは
これが現状です。沖縄での訓練と同質・同量はウソだったのです。砲撃訓練と並行して強化されているのが、ボランティア活動、老人ホーム慰問など地域に溶け込もうと懸命です。 そして今度は「米兵隊の駐留」という大問題が提示されたのです。 私はここにいたいのです 宿舎の矢臼別ホテルと倉庫の屋根には「憲法九条」と「自衛隊は憲法違反」が大きく書かれています。川瀬さんの自筆です。高い所で屋根はカマボコ型ですから大変な作業です。 コツコツと時聞をかけて書き上げましたので参加者をおおいに励ましてくれます。川瀬さんの口癖は「私はここに居たいのです」といつもニコニコ、ひょう、ひょうと肩肘はらずに話を切り出します。しかし政府の土地「売り渡し」には毅然と拒否したのです、そこに何とも言えない魅カを感じて全国から矢臼別に集うのだと思います。 大門みきし議員が挨拶に見え「自民・公明・民主が改憲のテンポを早めるなか、ここ一、二年が激しいせめぎあいになる、いまこそ憲法を守れ・平和を守れの声を全国からあげましょう」と激励されました。' 飯能に戻ったら、川瀬さんに学んで自分に出来る事を、地域の仲間と力合わせ草の根の活動をガンバロウと決意しました。
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