◆伝えられる力を持たなくては…
知らないことが、いかに人を傷つけてしまうのか。ということを感じました。いままで、漠然とは、勉強していましたが、もっともっときちんと知って、他の人にいまの日本の立場、これからやらなければならないことなど、伝えられる力を持たなくてはいけないと思いました。(ゆーみん)
◆「断絶」は埋めなければならない
「断絶」という言葉が、何とも重く響きました。この言葉を埋めるもしくは乗り越えるには、しっかりとした学習に基づいた学習とそして行動、何よりも勇気を持って声に出すことだと痛感しました。この「断絶」は、埋めることは可能だし、埋めなければ、乗り越えなければならないと思います。そしてこれを可能にするのは人類の理性。この理性を信じて、また明日から組合活動をはじめ、民主主義のための活動にがんばっていこうかと思います。 (S.T)
◆行動しよう!
独立国家に所属し、参政権を持って政権を選択し、そこで決定したことに責任を持つ、ということができるということがあることってすごいことなんだなと思いました。
憲法によって自由で平和になったと思っていましたが、その裏で旧被植民地の民族の人々は、選挙権を奪われたという話は深く考えさせられました。日本人は海外に居住しても国政選挙には参加できます。ありがたいです。韓国は、在日の人には選挙権を与えてないんだなと、思いました。日本人としての責任があります ね。行動しよう!! (T.T)
◆できることをやるしかない…
「断絶は超えられるか」というタイトルから私はあまり内容についてのイメージが持てないまま、お話を伺いました。自分としては、さまざまな偏見を意識的に排除しようとしてきているつもりではありましたが、そんなレベルの問題ではないことが重くのしかかってきました。
朝鮮半島と日本の長い歴史的な関係を日本の中での一般的な理解しか持ててなかったこと、肌に染みついた無意識のいわれなき差別感、まさに「断絶」というべきものなのだということがよくわかって、どうしたらよいのかーこれはこれからの自分自身の生き方にかかわってくるものだと思いました。ナチの収容所からの数少ない生還者の証言がその重みを持って受け止められない絶望と相通ずるものだという指摘、厳しいものがありました。
「超えられるか?」憲法さえも教育基本法さえも危ないいまの日本、いったい何をどうしたらよいのか?できることをやるしかないと思いますが…。 (H.S)
◆断じて思わせてはならないのだ
怒りをこめた詰問調ではなく、あの「あたたかな」話しぶりは、何だったのだろう。私たちは、徐さんにいたわられていたのではないかと思う。「愚かな日本人ヨ」と。
「私はなぜここに立っているのか」、静かな声で話し始めた徐さん。請われて招かれて「証言」するたびに、くり返し自身に問うて来たことと思う。二つの国の政治に翻弄されながらどの国の決定にも参加できない現実。「私の声は届いているのだろうか?」「誰も聞いていなかったのだ」などと、徐さんに断じて思わせてはならないのだと思いました。(H.S)
◆歴史は真実でなくてはいけない
戦中に生まれた私は、義務教育で朝鮮の事を学んだこともなく、本当に無垢な心で徐先生の話を聞きました。穏やかに決して興奮することなく、たんたんとしたすばらしい講演でよく理解できました。教育になぜ近代史を学ぶ機会がないか考えたとき、アメリカが日本に原子爆弾を投下したことをアメリカ国民にその悲惨な事実を知らせないのと同様、私たちも植民地として朝鮮を支配した悲惨な歴史を後世に伝えないのが日本の国なのかと思うと胸が痛みます。(真実が歴史でなければいけない)歴史は真実でなくてはいけない。(M.K)
◆『断絶』の谷底をとことん見る勇気
20世紀という時代は「断絶の世紀」であった。しかし「断絶」の裂け口は回復されることなく、この新しい世紀にむしろ拡大され、人類はその前で立ちすくんでいるよう状態にあるという。アウシュビッツの生き残りとして、「誰も聞いていないという悪夢」と闘いながら、「証言者」として生きてきたイタリアの文学者プリモ・レーヴィは、しかし80年代の後半に謎の自殺をしてしまう(原因にヨーロッパにおける歴史修正主義の流れに対する絶望が指摘されている)。徐京植氏は在日朝鮮人を「証人としての在日朝鮮人」と表現する。それはアジア諸国(とりわけ朝鮮半島)を犠牲にして帝国主義国に成り上がろうとした近代日本に対する「証人」であり、戦後日本のアメリカに庇護された、内向きの民主主義の欺瞞性の「証人」であり、冷戦の下での大国主義、覇権主義と抑圧された国や民族の「証人」としての在日である。9.11や拉致事件以来、日本には新たな「断絶」が拡大しつつあるが、断絶」を埋めるのに不可欠な「証言」に耳を傾け、「証言を無力化」させようとする考えとどう対峙するのかということは、日本人に課せられた重い宿題だと受け止めた。(K.K)
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