【随想】私とAALAとのかかわり(音声可)



1980 年前後の 頃、東京都港区で 青年運動にかかわり、 同じ建物の二階に AALA の事務所と 民青の事務所があ りました。
それが ご縁で、元理事長のあきにわさんと廊下ですれ違うことが重なり、 言葉をかけられたりしていました。その時の 
あきにわさんの優しい笑顔が、今でも私の脳裏か ら離れることはありません。
貧しい学生生活中、AALA の事務所からコ ーヒーのいい香りが漂い、それにひかれてお 邪魔し、コーヒーをご馳走に
なったこともあ りました。あきにわさんとのちょっとした時間の 談笑も、優しいことばに癒され、ホッとした ひと時を
過ごしたように記憶しています。
しばらく経ってからあきにわさんとお会いする 機会があり、AALA についてと沖縄返還運動 とのかかわりなどについての
お話をうかがい ました。あきにわさんは沖縄返還運動に深くかか わり、沖縄返還要求中央実行委員会事務局長 の大役を
担い、返還運動への貢献に感銘しま した。日本 AALA 加盟の勧めを快く受けまし た。機関紙に、新入会員として写真
入りで紹 介していただきましたが、その時の新聞が見 つかりません。その翌年に、AALA について もっと知ろうと
思い総会へも参加し、何年前 になるか定かではありませんが、港区青山で の国際的な会議にも参加し、日本 AALA 
の国 際的な活動についても学ぶことができました。
あきにわさんを通じて、沖縄返還運動の歴史や 日本 AALA が沖縄の闘いに果たしてきたこと に、自分自身も、かつての
返還運動のような 取り組みができないものかとずっと思ってい たところ、1995 年の米兵による少女暴行事件 に対
する沖縄県民の怒りに呼応し、東京の地 で、元返還運動にかかわってきた諸先輩とと もに、翌年の 1996 年 2 月
「基地のない平和な 沖縄をめざす会」を立ち上げました。
2002 年に会として、沖縄復帰(返還)30 年と 銘打って、「パネルディスカッションと文化の つどい」を開催し、
コーディネーターに元 NHKアナウンサーの酒井広氏、パネラーとして島 袋善祐氏(反戦地主・バラ園経営)、
あきにわとしお 氏(日本 AALA 連帯委員会理事長・元沖縄返還 中央実行委員会事務局長)をお願いしました。 返還運動に係る
それぞれの立場からお話しし て頂き、参加者はこれまでの沖縄の闘いのし たたかさに学び、今後の闘いへの意を強く
し た内容だったかと思います。残念なことに、 素晴らしい内容でありながら参加者が少なく、 出演者に大変申し
訳なかったとの思いが今で も心残りです。
酒井さんとあきにわさんとのマッチングは、 AALA 会員でもあり当会の共同代表でもあっ た故大久保雅充さんでした。
彼は、あきにわさん とエジプトの旅を共にしたと、満足げに話し ておられました。
40 年近く勤めていた会社を昨年 12 月に退職 し、長年の夢であった生まれ島である沖縄県 最北端の伊平屋島に、
この 2020 年 9 月から移 り住みました。
コロナ禍の中、コロナ患者が発生していな い故郷に戻るのに相当な勇気がいりました。 高齢者の多い島に行き、
クラスターになりは しまいかと、PCR 検査を受けて入島したので すが、一週間ほとんど外出せず、様子見をし、 
発症の兆しがないことが判った時の解放感は 何にもいいがたいものでした。コロナ禍によ るストレスの大変さを
思い知らされました。
「沖縄の会」発足から 25 年目を迎えようと していますが、沖縄現地との闘いに呼応しな がら、関東近辺を中心に
宣伝活動を中心に展 開し、時には沖縄現地の闘いへの人員派遣を はじめカンパ活動に取り組み、毎月発行する 
会報に活動を紹介して会員との絆を深めてき ました。この間沖縄の闘いは、故おなが知事の もとで「建白書」への
呼びかけが、沖縄全県 の自治体を巻き込み「オール沖縄」の闘いへ と発展してきました。
沖縄県民の声を一顧だにしなかった安倍政 権からさらに狡猾でひどい今のすが政権、一日 も早く政権の座から
引きずり下ろし、辺野古 新基地建設に終止符を打つためにも、来るべ き総選挙で野党連合政権の樹立が焦眉の課題
 ではないでしょうか。
私も、沖縄現地での闘いに参加し、「沖縄の 会」の活動への橋渡しになればと思って、こ れからの闘いに参加
したいと思います。
沖縄県伊平屋島在住